メタセコイア  

メタセコイアは今から73年前の1946年に中国で発見された※生きた化石と呼ばれる植物です。 札幌市内でも、北大植物園、森林総合研究所札幌支所、豊平公園などの公共施設や街中でも、三角錐の綺麗な樹形をしたメタセコイアを時折見かけます。   ➝ メタセコイア(その1):生きた化石の盛衰
今回はそれとは違う、ほんの少し珍しめのメタセコイアの姿です。
2019.6.19
写真は百合が原公園の一角に植えられているメタセコイア。 樹高は7~8m前後でしょうか。 太陽の陽射しに映えて樹幹全体が黄色く見えます。新葉の軸を中心に中央部が黄化しています。 “ ゴールド ラッシュ ” という品種です。

2015.10.16
写真は、清田区にある札幌真栄高校の校舎前に植えられているメタセコイア。 樹高は15~18m、幹径は70cmくらいでしょうか?。 真栄高校は1983年に開校されているので、その時の記念として植樹されたのなら、樹齢は40年くらいにはなっています。 あるいは、卒業生が植えたとすればもう少し若くなります。

当校のメタセコイアは市内で見かける普通のメタセコイアと同じなのですが、違うのは主幹地際から四方八方に伸びる根です。 それも芝生表面を太さが10cmもある根が何メートルも伸び拡がっているのです。
2015.10.16
メタセコイアにはこのような特性があるのか?と思い、パソコンで調べたのですが、そのような記載も写真もありませんでした。 この現象は、樹木全般に言えることで、例えば地下水が高いとか、あるいは、表層土が非常に薄く、しかもその下の地層が固くて根が下に伸びられない状態にあるなど、何らかの原因があって、このような現象が起こるのでしょうね。

※ 生きた化石
戦前、化石植物(および古い植物遺体)を研究していた植物学者三木茂は、スギ科エコイア属に分類される植物遺体が、日本各地の第三紀~第四紀の地層から出土することを突き止めていた。 これらの形態を詳細に検討するうちに、セコイア属とは異なる特徴を見出し、メタセコイア属という 新属を提唱した。 1946年のことである。 三木のメタセコイア属に該当する化石が見つかる範囲は北極圏にまで及ぶが、すべて絶滅したものと思われていた。 ところが、1946年、中国の植物学者胡先驌と鄭万均は、中国湖北省で発見された未記載の針葉樹の形質が三木のいうメタセコイア属の新種として発表した。 この話は直ちに、胡の師匠筋のアメリカの植物学者にも知らされ、大きな驚きをもって迎えられたのである。(緑化樹木辞典、メタセコイアより抜粋)

 

 

 

メタセコイア 冬芽

2014.3.29
冬芽は卵形で断面は四角形。 芽鱗は多数で規則正しく重なる。 ふつう葉痕の上に冬芽はつかない。 枝のところどころに落枝痕があり、粉をふいたように白い。(冬芽ハンドブック)
冬芽の上部に白い面が見えますが、これが落枝痕のようです。
この写真では写ってないですが、枝のところどころに小さな白い点のようなものがあり、それが葉痕のようです。

 

メタセコイア(その1):生きた化石の盛衰

樹木研修が開催された道立林業試験場(正式名称:地方独立行政法人 北海道立研究機構 林業試験場)の正面に大きなメタセコイアの樹が立っています。
1-037 メタセコイア2014.9.27
樹高は27~28m?25mはありそうです。 2本立っていて、1本は目通り幹径65cm、もう1本は60cmです。当林業試験場緑化センター長のお話では、この樹は挿し木で増やしたもので、50年は経ってなくて、40数年とのことです。
メタセコイアは、 円錐形の美しい樹形をつくり、芽だし時期の柔らかい緑色と紅葉時の赤みを帯びた褐色が印象的で、北海道を含めて全国に公園や並木として植えられています。 1945年に中国の揚子江支流で発見され、生きている化石として有名です。
1-045 メタセコイア2014.3.29
冬芽は2~3mm。
1-028 メタセコイア2014.5.4
葉は対生。
1-036 メタセコイア2014.511
1-076 メタセコイア2012.8.27
球果、1.5~2cm
1-033 メタセコイア2014.4.23   豊平公園
1-137 メタセコイア2011.5.15  北大植物園
1-066 メタセコイア 北大2012.6.17  北大植物園
1-011 メタセコイア 時計台2012.9.18  時計台
1-017 メタセコイア 金葉2013.7.14  百合が原公園
オオゴンメタセコイア:メタセコイアの園芸品種
<余談:生きた化石メタセコイアの盛衰>
“植物の耐寒戦略”(酒井 昭著)にメタセコイアの盛衰と中国での発見について詳しく書かれています。一部抜粋して記しますので、興味のある方は読んで下さい。
〇北半球における寒冷気候の出現と植物の盛衰
今から4,500万年前(新生代第三紀)までは地球を1周する赤道海流が存在し、熱帯の暖かい海流が北極海に効率よく送られていた。 また、地球上には(ヒマラヤ山脈のような)大山脈がなく南北の熱交換が比較的自由に行われていたために、赤道と極との間の温度差が少なく、北極圏でも温暖で、湿度の高い常春気候であった。 そのため、北半球の高緯度地域にも温暖湿潤気候を好むスギ科の針葉樹(セコイア、メタセコイアなど)森林が繁茂していた。
① 北極圏の雪原で発見されたメタセコイア化石林
1985年、カナダの北緯80°アクセル・ハイベルグ島で、数百本のメタセコイアの化石林が雪原の下から発見された。調査の結果、樹高20~30m、樹齢150年の落葉性のメタセコイアを主とする、かなり高密度の湿地林が存在していたことがわかった。 この化石林は少なくとも4500万年前の新生代第三紀始ころのものと同定された。 その頃の現地の緯度は、現在とほとんど同じであったが、夏の気温は現在より20℃ほど高かったと推測される。
② (新生代)第三紀における寒冷気候の出現と植物相の変動
今から4,500万年~2,800万年前(新生代は6,500万年前~現在、6,500年前は巨大隕石が地球に衝突して、恐竜が絶滅した時期)にかけて、地球レベルでの熱交換システムが失われ、高緯度や中緯度では気温が約10℃近く低下し、それにつれて季節性が増大し、乾燥化が進んでいったと考えられる。 この気温の著しい低下によって、北極圏まで分布していた温暖湿潤性のスギ科針葉樹を主とする第三紀周北極植物群は中緯度まで南下した。 さらに第三紀後半(今から3,200~3,300万年前)から活発になったアルプス造山運動による山脈の上昇、大陸移動による海流の変化、内陸部における地域的な乾燥化などのため、赤道と極との間の温度差が著しく増大し、北極海の孤立と低温化および南極大陸の氷床形成が起こった。 こうした地形や気候の大変化(常春的温暖気候から夏暑く冬寒い乾燥した大陸的気候への移行)ため、寒冷乾燥気候に適応できなかったスギ科針葉樹は全面的に衰退し、数種類がかろうじて絶滅をのがれ、現在、隔離され遺存分布している。
③ スギ科植物の遺存分布
ⅰ メタセコイアの盛衰
メタセコイアは生ける化石として近年有名になったが、この類の化石はセコイア・ヤポニカとして日本各地で以前から発見されていた。また中国にはセコイア・チネンセが知られていた。 これらの植物化石を調べていた三木茂博士は、日本の第三紀のセコイア型の葉と球果がカリフォルニアの沿岸に現存するセコイアやアメリカ東南部に現存する落葉性のヌマスギ(ラクウショウ)とも異なることから、これらの化石に対して、1941年に新しいメタセコイア属を作った。 こうした三木博士の優れた洞察により、メタセコイアの存在が初めて認められたのである。
その後、アメリカのチェーニーによって、メタセコイアの広範囲な分布調査が行われた。その結果、メタセコイアは中生代中頃(ジュラ紀:恐竜が地球を跋扈した時代)アメリカの西海岸北部で起源した後、中生代の終り頃(白亜紀)から新生代第三世紀の初めにアラスカ、北極圏に大規模に分布し、さらにベリンジア(北アメリカ大陸とアジアを結ぶ陸橋) から日本、サハリン、沿海州中国に分布を広げたことが明らかになった。 アメリカ大陸では第三紀最後の鮮新生(530万年前~160万年前)の始まる前にすべて絶滅した。 わが国では、第三紀鮮新生後期(約250万年前)のメタセコイア化石林(直径1m)が東京都八王子市の北を流れる北浅川で1967年に発見された。 わが国でメタセコイアが絶滅したのは、氷河時代の前期(新生代=氷河期と考えてよさそうです。 今から6,500万年前)といわれている。
1945年、第二次世界大戦中、米中共同の植物相調査が四川省を中心に行われた。長江の支流、麿刀渓沿いを行くうちに、ある部落の祠(ほこら)のそばに1本の針葉樹が神木として立っているのに気づいた。高さ約35m、直径2.5mの巨木であた。その標本は、最終的に北京の胡博士によって、三木博士が化石で名づけたメタセコイアと同種であることが確かめられた。 そして、1948年に、生ける化石植物メタセコイアが中国で中国で発見されたと報告し、これにMetasequonia glyptostroboides Huet cheng (メタセコイア グリプトストロボイデス)という学名が与えられた。
中国で採集されたメタセコイアの種子が1949年にアメリカから日本に持ち込まれ、また、1950年にもアメリカから100本の苗が日本に持ち込まれ各地に植えられた。
インターネットで調べていたら、メタセコイアのすばらしい並木のサイトがありました。興味のある方は以下へ
メタセコイアの並木

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