アスパラガス

ズームアップすると、つり鐘状の花は東北三大祭りの一つ、秋田の竿灯(かんとう)を思わせます。
雌雄異株、花は小さく緑黄色、6枚の花弁から成っています。 雌花は受精して豆粒大の緑色の実をつけ、秋になるときれいに赤熟します。
2017.6.17

■ 栄養豊かな保険野菜
アスパラガスの原種は、南ヨーロッパやソ連(今のロシア)南部の海岸、川岸に見られるそうです。 その利用は2000年以上も昔にさかのぼり、ローマ時代には盛んに食用に供されていました。
学名は、アスパラガス・オフィキナリスで、学名がそのまま作物の名となっています。 アスパラガスとはギリシャ語で非常に枝分かれの多いという意味で、オフィキリナスはラテン語で薬用、つまり栄養の豊富なことを表しています。
和名のオランダキジカクシ、マツバウドなども、よくその容姿を形容した呼び名だと感心させられます。

■ 本格栽培は岩内町から
わが国には天明年間以前に、オランダから長崎に伝わったともいわれていますが、当時は観賞に供されていたに過ぎません。
明らかな記録は、明治4年、ほかの舶来野菜と一緒に開拓使によって札幌官園に導入されました。 当時の「開拓使蔵版」には、“ 野天門(アスパラグレス)” と記されています。 その後、農事試験場に引き継がれましたが、試作の域を脱するには至りませんでした。 本格的な栽培は、大正12年、下田喜久三氏がアメリカから種子を取り寄せ、岩内町で40haの栽培を始めたもので、同14年には、国産の良質なかん詰加工に成功し、北海道アスパラガスの名声を全国に広めました。

■ 雌雄仲よく植えられる
北の気候風土に適合したアスパラガスは、作付面積も順調に伸び、昭和15年には2000haにも達しました。 ところが、戦争末期の食糧難時代には、腹の足しにならない不急作というレッテルを貼られ、その多くは廃耕の憂き目にあいました。 戦後、経済が復興するにつれ、再び作付けが増加し、現在(昭和50年頃:今から40年前後前)道内の栽培は5000haを超えています。
特に、栄養価が高く、食味の優れたグリーンアスパラガスの進出が目覚しく、シーズンになると、北の味覚として府県に空輸されています。
「雌株に比べて雄株はスマートで頭部の締りも良く、収量、品質ともに優れています」いつか、こんな話をしてご婦人方の不興をかったことがありました。 現在の技術では苗を畑に植える前に雌雄を判別することは至難です。 従って、現実には、ほぼ1対1の割合で仲良く植えられているのです。
(札幌市農業センター 林 繁)

 

<余談 その1>
私が高校生(昭和40年代)くらいまでは、アスパラガスといえば、缶詰に入ったホワイトアスパラガスのことでした。 柔らかくて口に入れるとブチュッとつぶれて甘味はあるけれどそんなに美味しくもなく、しかし、なかなか食べられない高級食材、そんなイメージをもっていました。
初めてグリーンアスパラガスを食べたのは札幌に来てからで、湯がいたグリーンアスパラガスにマヨネーズをつけて食べたことを今でも覚えています。 しかしその時も、さして特別美味しいという印象はなく、「野菜にしては何か違う、甘さ?があるな 」 という程度の記憶しかありません。  それから約40年、この時期、5月下旬~6月にかけて毎日までとはいかないまでも週2~3回、朝食にグリーンアスパラガスがサラダと一緒に、または、マヨネーズを添えて単独で出てきます。
40年前の最初に食べたときに感じた甘さ、それはそれ程インパクトのあるものではなかったのですが、普通の野菜と違う甘さ、それが今では美味しくて美味しくて、この時期、朝食には欠かせないものになっています。 スルメの「噛めば噛むほど味が出る」のように、アスパラガスは食べ慣れれば食べ慣れるほど、その美味しさを感じる、そんな野菜、食材のようです。

<余談 その2>
アスパラガスには雄株と雌株があります。 その違いは、この時期、6月中下旬になると花が咲き終わった後にグリーン色の小さな玉つける株を見つけることで分かります。 それが雌株です。 雌株と雄株の違いは外見上はそれだけなのですが、アスパラガスを生産している農家の方にとっては、その違いは大きいもののようです。 2017.6.20
というのも、雌株の若茎は太くて甘みが強いものの、出る数が少なく太さにばらつきがあります。 一方、雄株は若茎がたくさん出て、しかも太さが均一なので出荷にとっては好都合で収益性が上ることのようです。 なので、アスパラガスの生産者は、雌雄の完全な判別はできなまでも、今までの経験と最新情報を加えて自分なりの判断基準で、苗の姿形を見て雌雄を選り分け、雄株と思われる苗だけを選んで畑に植えるようです。 また、昨今ではタネをまくと全て雄株が出る全雄系品種が主流なのでだそうです。