ウド

アサイド

ファインダーからのぞいた時、この花は、色彩こそ単調ながら花火のイメージでした。
ウド 2016.7.28
球状の花は直径3cm強
ウドは、夏になると大きな円錐状の花穂をつけ、小花穂は円形の散形花序、叢生(そうせい)します。
ウド 2016.7.28

わが国固有の野菜
わが国原産の野菜となると数が限られますが、ウドは日本人が17世紀ころから栽培を始めた独創的な野菜です。だから英名は、ウド・ジャパニーズ・サラッドといいます。

雪間より薄紫の芽独活(うど)かな          芭蕉

春早い山菜としてなじまれており、太く白茎の多いウドを手にしたときの喜びは格別です。 もともとは日本中いたるところの山野に自生していたもので、特有の芳香、淡白な風味と歯ざわりをもっています。 甘みと苦味の調和は、日本人の好みによく合致したものといえましょう。

野生のものを畑に移し、簡単な土寄せして軟白したのが栽培の始まりでしょう。 京都や大阪では、250年ほど前から商品化されたという記録もあります。 その後、愛知や東京で本格的な軟白栽培が行われるようになりました。

当時、軟白ウドは珍重され、とりわけ高価に取引されたことから幕府の不興を買い、 “ ぜいたくもの ” ということで、一時は販売を禁止されたということです。

大正11年、東京で開催された平和博覧会に日本のウドが出陳されました。 これ見た外国人は、「まるで芸術品を見るようだ」と賞賛を惜しまなかったそうです。

ウドの栽培は各地で行われていますが、本格的な軟白栽培は東京都北多摩一円、愛知県尾張地方のものです。 ここには長い間の試行錯誤の歴史があり、親から子に伝えられた技術が野菜の芸術品をつくり上げたのです。

ウドの大木とけなすなかれ
“ ウドの大木柱にならぬ ” ということわざがあります。
ウドは長生きすると2mほどにもなりますが、若芽の時のように食用にもならず、さりとて用材にもならないということで、体ばかり大きくて、ものの役に立たない人のたとえに使われます。
“ 山椒は小粒でぴりりと辛い ” などともいい、元来小柄だった日本人のひがみから出来たことばなのでしょう。

日本人がつくり上げたこの野菜を、私はけなしたくありません。 草本であるウドをいくら大きいからといって木材と比べる人の方がおかしいのではないでしょうか。 “ ウロ(空洞のこと)の大木役立たず ” から変化したもの、という説を支持したいのです。
(札幌市農業センター  林 繁)

「ウドの栽培は各地で行われていますが、本格的な軟白栽培は東京都北多摩一円、愛知県尾張地方のものです。」
とありますが、林さんが「野菜の花」を書かれたのは昭和50年代前半で今から約40年前のことです。
それで、現在はどこで生産されているのか調べてみました。
2010年の日本全体の出荷量は2,943tで、1位は群馬県の933t(32%)、2位は栃木県の823t(28%)、3位は秋田県の322t(11%)です。 東京都は268t(9%)で4位と健闘しています。 しかし、愛知県は載っていませんでした。 ウドの産地ではなくなったようです。
また、4位に埼玉県が入っているので、 ウドの栽培(軟白ウド:栽培時に日光を遮ることで白くやわらかく育てる)は関東地方が中心のようです。