オクラ

<花の命は短くて>
花は黄色で美しく、ハイビスカスやワタと同じアオイ科の仲間。 見るだけで十分に価値はありましょう。 釣鐘型で、花弁は普通5枚、柱頭は暗赤色でビロード状を呈し、花弁の色によく映えます。
オクラ
2016.8.29  札幌市農業支援センターハウス内
開花は早朝に行われますが、その美しい姿をとどめるのは午前中だけで、午後には退色してしぼんでしまいます。 受精後5~6日でさや果は10cmくらいに肥大し、食用に供されます。

<古く、そして新しい野菜>
原産地はアフリカといわれており、エジプトでは非常に古くから栽培され、インドや南洋諸島の亜熱帯地方でも主要な野菜となっております。
わが国への渡来は新しく、『開拓使蔵版(1873年)』に記載されているのが、最古の記録とされています。 和名をアメリカネリ。 ネリ(トロロアオイ)ににていることと、導入地に由来しての命名でしょう。

しかし、日本人の食生活に合わなかったため、特殊野菜の域を脱せず、ほとんど普及しないままに経過しました。 市場に出荷されるようになったのは昭和30年代で、大衆野菜として一般家庭に受け入れられるようになったのは、40年代になってからといえましょう。

元来亜熱帯性の植物なので高温が要求され、産地は関東以西の暖地に多く、本道では温室やビニールハウスで保護しないと生育はよくありません。

<戦争にまつわるエピソード>
道内では、オクラがあまり知られていなかった十余年前の話(昭和40年代前半)、私が見学者を案内していたころ(当時、札幌市農業センターは市民見学のコースになっていた)、ビニールハウスで栽培しているオクラの前に立ち止まって、
「懐かしいな!」
とつぶやいている初老の方がいました。
聞くと、この人は第二次世界大戦中フィリピンに派遣されており、飢餓の戦線でオクラを刻み、しょうゆをかけて祖国のなっとうをしのんで食べたということでした。 そして、南方では多年生で、3mくらいに伸びると話してくれました。 私も戦中を生きたきた一人として、胸の熱くなる思いをしたことを今でも忘れません。

<新しい野菜に日本的な食べ方も>
オクラが好まれなかったのは、特有の青くさ味と粘質性が原因でした。 近年急激に消費が伸びているのは、食生活の洋風化に加え、たんぱく質やビタミン含有量の多い保健野菜として見直されたからでしょう。

一般に、馴染みの浅い野菜を西洋野菜と呼び、あたかも洋風料理に用いなければならないように思いがちです。 てんぷら、酢のものはもちろんのこと、みそ漬けにしても格別の風味のこと。

さや果も輪切りにすると星型になるので、吸いものを引き立たせ、さしみに添えてもおつなもの。 ただし、いでゆのホテルのコック長から聞いたことの請け売りです。
(札幌市農業センター 林 繁)

 

オクラって、切って混ぜると納豆のようにネバネバになる野菜、テレビなどで見聞きはしますが、今まで一度も口にしたことがありません。 家庭料理に一度も出たことはないし、もしかして会席でたべたかもしれませんが、どうも自分の記憶にないのです。 自分にとっては縁遠い食材です。
それで、日本のどこでどれくらいつくられているかを調べてみると(野菜ナビ:2010年の統計)、
・鹿児島県  :4,274t
・高知県   :1,731t
・沖縄県   :1、181t
で、鹿児島県が日本全体の生産量12,000tの約40%を占めています。 ちなみに、北海道の生産量は3tで都道府県別では下から3番目です。 熱帯系の作物なので、生産地も九州、四国、沖縄と亜熱帯に近いところです。 やはり、北海道には縁遠い食材のようです。
では、世界全体ではどうでしょうか?
・インド   :6,350,000t
・ナイジェリア:1,100,000t
・イラク   :  140,000t
とインドの生産量がダントツで、全世界の約70%を占めています。
オクラの原産地はアルジェリアやモロッコのある東北アフリカで、“ オクラ ” という名前も日本名のように思えますが、現地語からきているのだそうです。 日本では1年生で高さ1.5m~2mになりますが、熱帯では多年生で5~6mになるものがあるそうです。