ニンジン

2018.7.18
せり科。 原始的なものは1年生でしたが、現在栽培されているものは2年生。細かい花が傘状につくことから繖形科、またはカラカサバナ科とも呼ばれていました。 花色は一般に白色で、1花序に10~150もの小繖を、そして、1小繖に20~70個くらいの単花をつけます。 したがって、1花序は3,000内外の花から成立していることになります。 普通の栽培では花ができると品質が悪くなるので、とう立ちの遅い品種が作られています。 冬を越した根から、翌春、60~100㎝くらいも伸び、主茎部のものから開花を始めます。 野菜では、セルリー、パセリ―、ミツバなどと同じせり科の仲間です。

<胡(異国)からきたダイコン>
野生種はヨーロッパ、北アメリカ、アジアに広く分布いているが、一次発生の中心地は中央アジアのアフガニスタンで、わが国の金時ニンジンはアフガニスタンの血をひくものといわれています。
中国には、イランを経て広く伝えられたようです。 『本草綱目(1578年)』にも、元の時代胡の国から伝わったと記され、蘿蔔(ダイコン)に似ているところから胡蘿蔔と名づけられました。 戦中に農業を学んだ私たちには、作物の漢字書きには苦労させられました。 戦後、新仮名遣いができて、漢字の苦手な私が一番ほっとしたのは植物名が片仮名に統一されたことでした。

<チョウセンニンジンから名を奪う>
わが国へは、中国を経て渡来していますが、年代は不明。 1600年~1700年の古書には、すでに赤、白、黄の系統が記され、京都、大阪付近には現在の金時ニンジンの存在が暗示されています。
最初、渡来したころに、チョウセンニンジンの形が似ていることからニンジンと呼ばれ始めましたが、栽培が普及するにつれ、名前がすっかり定着し、単にニンジンというとチョウセンニンジンではなく、野菜のニンジンをさし、人参と書いて通用するようになりました。 漢方高貴薬としてあまりにも有名な本家本元の人参はセリ科ではなく、ウドやタラノキと同類のウコギ科ですが、植物としてはセリ科と近縁といえましょう。

<栄養豊かな野菜。
ニンジン色といわれるカロチンは、体内でビタミンAに変わることが知られており、糖分が多く消化のよいところから、幼児や病弱な人はもちろんのこと、一般の人にも保険野菜として欠くことのできないものです。 あの精悍で俊足な馬の大好物であることからもうなづけましょう。
ところが私は、幼いころからカレーライスのニンジンもより分けて残すほどの、大のニンジン嫌い。 ニンジンのこととなるとつい、体が小さく虚弱体質で人前ではいつもおどおどしていた小さいころの自分を思い出すのです。 そしていま、こんな話をしても誰も信じてくれません。 中等学校時代の寄宿舎生活と、戦後開拓地に入植したころのどん底生活が、私の心身を鍛えてくれたのでしょう。 過酷なほど苦しかった過去にも、ときおり、感謝することがあるのです。(札幌市農業センター 林 繁)

<余談>
ちょうどこの時期、郊外の道路脇や空き地などいたるところでノラニンジンを見かけます。 ノラニンジンはニンジンが野生化したものと言われているので、両者の花の形状はほとんど同じです。
それでは、上の写真がどうしてニンジンなのか?というと、近所のお宅の庭の片隅で、草丈が1.0~1.5mのノラニンジンと同じ花をつけた株を見つけたときに、ノラニンジンなら庭に植える訳がないし、ニンジンならこの時期にこんなに大きな株にならないし、と不思議に思って見ていたのですが、たまたま家主が庭で草取りをしていらしたので、
「これは何ですか?」、と尋ねると
「去年、タネをまいて収穫しないで放って置いたら、こんなになってしまった。」
と言いながら、1株を引き抜いて、
「全然太らないし、赤くもならない」
と言って、ほんの少し赤味を帯びた細い根っこを見せてくれました。
それは、以前道端でノラニンジンの根っこを引き抜いたときのものと全く同じでした。