冬囲い(その14) 中島公園 日本庭園

2016.11.13
日本庭園入口横のゴヨウマツ(段づくり)の雪吊り。 後ろの樹木はドロノキ。

2018.11.10
池に面する主庭園に向かう園路から見た雪吊りと冬囲い。 左の大木はカツラ

2018.11.10
四阿から見たマツの雪吊り。

2018.11.10
池の中島に植えられているマツの雪吊り。

2018.11.10
ベニシダレ このベニシダレは冬囲いをしなくても枝折れしないのだろうか?

この辺り、昭和30年頃は建築用の樹木を育てる苗圃で、花壇に囲まれた相撲の土俵もあったという。 当時の未開発地域であったわけで、ここに市民の憩い場としての大規模な日本庭園を造ることにしたのは、原田與作市長(1959〜1971年)だった。
昭和36年に工事が始まり、2年かけて完成した。
「幸い水に恵まれた場所柄、日本庭園の基本的型式と言える築山林泉回遊式とし、奥山に発した流れが瀬を走り、淵に寄り、平野を流れ、沼に休み、やがて大海に注ぐまでの自然風景を縮景し・・・・・」
上の文は、工事報告書から抜いた。 500坪の敷地に植えられた木と花は、道内各地から苦労して集めたオンコ、トドマツ、ツツジ類など40種、1400本。 北海道の山野の色を念頭に置いたという。
庭石は日高の沙流川、胆振の鵡川の源流をはじめ藤の沢、張碓などから運んだ。 石の護岸にはセメントを一切使わず、石と丸太の乱杭で組まれた。 それも、桂離宮の州浜や禅寺の石庭等、古来の名園を参考にしている
さっぽろ文庫84 中島公園の日本庭園より抜粋

 

 

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