クリ  樹木の寿命(衰弱から枯死へ)

2013.7.13
今から7年前、2013年夏、写真を撮ったのがちょうどクリの開花時期で、樹冠が白っぽいのはクリの花。 このクリは樹高約15m以上?、樹幅もそれくらいありそうな大木。 豊平川にそそぐ南の沢川沿いに生えています。
この大木の衰弱の兆候を探すとすれば、樹冠右側中段の枝の葉が少ないことと、樹幹上部左側に枯れた細枝が飛び出しています。 それぐらいでしょうか。
2014.9.6
その翌年(2014年)の9月。 樹冠右側中段の枝につく葉数が明らかに少なくなっています。 それと、昨年に比べ樹冠内の枝葉が少なくなって樹冠内部に隙間が多くなっている感じがします。
2015.7.6
その翌年(2015年)の7月。 クリの花が咲いています。 樹幹全体の枝葉、ボリューム感がないというか、人間で言えばやせ細ってきた という感じです。 樹幹上部の細枝の枯れが多くなってきているように見られます。 2017.8.6
その翌々年(2017月年)の8月。 明らかに葉数が少なくなってきました。 樹冠上部の細枝の枯れが目立ってきています。 はっきりとは判りませんが、写真を見る限りでは主幹や太枝から大量の胴吹きを出しています。 これは、樹幹上部の枝が枯れたり病気になったり、又は強風で太枝が折れたり強剪定された場合に出てくるものです。 理由は樹冠上部の葉が減少して光合成が出来ない分、それに代わって養分をつくるために樹幹に眠っていた芽(休眠芽)が突然起こされて出てきたものなのです。 このクリは正常な状態での養分の作り方から幹に芽を出させ、それで新たに養分製造場所を確保しようとしているのです。
2019.6.23
写真はその翌々年(2019年)の6月。 胴吹きという緊急養分製造装置では対応しきれなかったようです。 2年前に比べると急激に衰退しています。 一部の枝に葉が出ているだけになっています。 その前年(2018年)9月に北海道を襲った台風21号による影響が大きかったのでしょうか?  2年前の段階では、まだ助けようがあったのでしょうが、こうなるとどのような手当をしても無駄なように思います。
2020.4.17
そして、今春。 地上1mくらいでバッサリと切断された切株が残るのみでした。 昨年の秋ごろには完全に枯れ上がっていたのでしょう。

このクリについては、遠くから眺めて写真を撮るだけで近接して見ているわけではないので、病気が発生したのか?害虫に食われて衰弱に至ったのか?、それともこの樹が持っている寿命なのか?については判りません。 しかし、10年近くをかけて徐々に衰弱していって枯死に至っていることは明確です。

樹木は動物と違って主幹がバッサリ切られても、その切り口からまた新しい芽が伸びてきます。 動物で例えれべ胴体を真っ二つ切られても、その切り口から新たに失った部分が再生するようなものです。 さらに、樹木は師部と木部の間に毎年新しい形成層を作り太っていきます。 師部は内樹皮とも呼ばれ毎年形成層の外側に作られ古い物から外に押し出されて外樹皮となり、最後は剥がれてしまいます。 一方、形成層の内側にできる木部は数年?は水分を通す管としての役割(辺材)を果たすのですが、その後は生きた組織が存在しない心材となります。
以上のように樹木は、切断されても再生する能力があることや、毎年形成層という新しい組織が出来て、それに伴い活動を終えて死ん組織が増えていくことが併存する生物で、そもそも動物でいう寿命という概念は樹木には当てはまらないようです。

しかし、ピーター・トーマス著、“ 樹木学 ” では、樹木の寿命について 以下のように説明しています。 少々長くなりますが、興味のある方はお読みください。

樹木の生存にとって重要なのは木の大きさである。 樹木は成長していずれ樹冠の極大点に達する。 樹高の方は主として水輸送(木部の導管で水分を上に揚げる)の関係で無制限で大きくなれないし、側枝を伸ばそうとすると、それを支えるのに大変なコストがかかる。 したがって1本につけられる葉の数にも上限があり、それはまた食糧生産(光合成量)の制約を意味する。 ところが樹木の方は樹皮の下に毎年木部に新しい層を加えていくので、木が大きくなるにつれ樹木全体の木部の量は年々多くなっていく。 木が大きくなると呼吸に必要な養分も増え、成熟木ではそれが光合成で出来た養分の2/3を消費する。 所得(養分)は固定されいるのに支出(呼吸と新しい木部)は増え続ける。 樹木はその対策として当分は年輪幅を縮めていくことになるが、これにもおのずと限界がある。 何かを犠牲にしなければならない。 その対象となるのは普通、最大のストレスを受けている先端部の枝条である。 死んだ枝がシカの角のように樹冠の先から突き出ている光景がその結果である。 枝がなくなれば葉がすくなくなり、新しい木部も形成されない。 終焉に向けての旋回が始まったのである。 ただし、多くの樹木はこのプロセスを遅くすることができる。 不定芽のある樹木は幹から新しい枝を伸ばし、先端部でなくした分を十分補うほどの葉をつける。 しかもその枝は細いのであまり木部を必要としない。 これらの樹木は、上部の幹と太い枝の維持に費用をかけないで葉面積を維持してきたのである。

不定芽の寿命はあまり長くない。 オーク(ミズナラやコナラの仲間)は100年、セイヨウシデやブナは60年くらいで、カンバ類やヤナギ類はさらに短い。 しかし、オークやヨーロッパグリ(特に大きなこぶのあるもの)のように、不定芽のたくさん出す樹木は新しい枝を次々と供給し、何世紀にもわたって死を逃れることができる。 昔から、「オークは成長するのに300年、成長を止めて300年、死ぬまで300年といわれてきた。 オークの頂上の枝が枯れ始めるのは、人間でいえば中年になって少し髪の毛が薄くなった年代に相当するのだろう。 とはいえトネリコ類(ヤチダモやアオダモの仲間)やブナなどはこうした「費用削減」があまり得意でないため、衰退が急速に進んで、比較的若くして死んでしまう。

樹木の食糧の収支は備蓄のあり方によっても影響される。 食糧は辺材の生きている細胞に蓄えられる。 樹木が大きくなり、食糧生産が赤字(光合成で合成された養分より呼吸によって消費される量の方が多くなる)になってくると、備蓄用食糧のゆとりが少なくなる。 それと同時に、新しい木部が成長しない(辺材から心材に変化)から食糧の貯蔵室も少なくなる。。 さらに腐れや感染部分が蓄積すると、患部を封印すべく形成層にバリアーゾーンが敷かれ、貯蔵能力はさらに失われる。 樹木の生きている部分は壁に囲まれますます薄くなり樹皮の下に押し込まれるからだ。 呼吸もいくらかは減少するが十分ではない。 予備のエネルギー生産と備蓄が細るにつれ、木は弱っていく。 また、損傷部と新しい木部の間にバリアーができにくくなる。 おまけに新しい木部が狭くなることから、菌による腐れが簡単に樹皮に到達する。 樹木のこの部分は死ぬだろう。  新しい不定芽を出して寿命を延ばすこともできるが、大きな老木からは新しいシュートは出にくい。 これはおそらく不定芽の蓄えが尽きてきているのと、厚い樹皮の下では芽が動けなくなるからであろう。 あるいは新しい枝から根の間が病気になり、枝は枯れてしまう。 こうなると疲弊した老木は粛々と退出するしかない。

少々長くなったので、この続きは次回に回します。 南沢川沿いのクリの衰弱から枯死を、ピーター・トーマスが言っている「樹木の寿命」を踏まえて考えてみたいと思います。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA