ジュウガツザクラ  狂い咲きと二季咲き

2021.11.16
先月中旬に東京の新宿御苑に行ったときに咲いていたジュウガツザクラです。 樹の高さは4mくらいで横に広がる樹形のようです。 2021.11.16
花は八重咲で、直径は2cmほどの小さめです、
新宿御苑は二十数年?ぶりで、このジュウガツザクラを見るのも初めてなので、この花についてどうのこうのという評価は出来ないのですが、好意的な表現をすれば「花のない時期に咲いているので人目をひく」「秋らししみじみとした咲き方」、それと反対の言い方をすると、「ぱっとしない」「ちらほら咲いている」「ただ珍しいだけ」となるのでしょうか。

このジュウガツサクラは、春と秋に咲くニ季咲きで、春は4月、秋は10~4月にかけて断続的に咲き、春に7分、秋~冬にかけて3分開花し、花の大きさは、春に咲く方が大きく、秋は小さ目だそうです。

<狂い咲きと二季咲き>
樹木で二季咲きする植物は意外に多く、インターネットで調べると、ボタン(寒牡丹)、フジ、ツツジ、ヤマボウシ等多くの樹木で二季咲き性があるようです。
私がよく見かける二季咲き性樹木はエゾムラサキツツジで、これは個人の庭先や公園に多く植えられているために目につく機会が多いためですが、エゾムラサキツツジが春と秋に咲くのを見かけるのは数年に一度で、これは二季咲きではなく狂い咲きです。 狂い咲きでは、モクレンが7月の夏の暑い時期にポツンと咲いているのをときおり見かけます。 しかし、これは何らかの理由で春に咲けなかった花が時期がずれて咲いたもので、狂い咲きには当たらないのでないかと思っています。
その理由は、樹木が秋に花を咲かせるのは、春に花が終わった後翌年の花芽を形成するのですが、それが何らかの要因で花芽が完全に完成していない秋に開花するのが狂い咲きで、モクレンの花が夏に開花するのは、7月では次年度の花芽は形成途中で花を咲かせる段階まで至っていないので、おそらく前年にできた花芽が何らかの理由で春に咲き切れなかったのではないかと思われるのです。 なので、これは狂い咲きではなく、出遅れ咲きなのでしょう。 モクレンも花芽が完成形に近くなっている9月以降に咲けば狂い咲きになりますが・・・・・。
それでは、サクラの 狂い咲きと二季咲きの違いは何なんでしょうか?
サクラの二季咲きは、狂い咲きが何らかの要因により常態化したものを二季咲きと呼んでいるのではないか?と思っていたのですが、それは違うようです。
その前に狂い咲きのメカニズムについてですが、この現象が起こる理由は、秋口に樹木の花芽が形成された頃に、台風や害虫、異常な高温乾燥などの要因により葉が無くなる又は減少することで、葉で形成される花芽の成長を抑制するホルモンもなくなることで開花に至るようです。

 →  エゾムラサキツツジ  狂い咲き

しかし、サクラの二季咲きは、上述のメカニズムではなく、サクラの進化・歴史に関係があるようです。
日本に自生しているサクラの先祖はヒマラヤザクラと考えられており、このサクラの開花期は秋(日本では11月に開花、12月に見頃)です。
おおよそ2000万年前、アジア大陸から分離してできたのが現在の日本列島ですが、年間を通じて温暖なヒマラヤで秋に咲くサクラが、そのとてつもなく長い時間をかけて、寒い冬のある日本で生き延びるために春に花を咲かせる性質を獲得していったのです。
時は流れに流れて江戸時代後期です。 その頃にはジュウガツザクラの記録が残っているそうです。 生物(種)が生存繁栄する過程で突然変異が起こります。 日本に自生していたサクラにも、ある日、突然秋に花を咲かせるものが出てきたのです。 突然変異で先祖返りをするサクラが現れたのです。 人間はそれを見逃さずに何世代も大事に育て遺伝的に固定化することで、ジュウガツザクラのような秋咲き品種が生まれたと考えられてるそうです。
もし二季咲きが狂い咲きと先祖返りという二つのタイプで現れるのなら、ジュウガツザクラは後者のタイプであり、元々遺伝的に秋に咲く性質を内在していたために、それが突然変異で現れたいうことのようです。

<余談>
ボタン、フジ、ツツジなど樹木には二季咲きの樹種が多くあるようですが、それらは狂い咲きのタイプなのでしょうか?、それとも先祖に秋に咲く性質を持つものなのでしょうか? それともまったく別の要因なのでしょうか?

 

 

 

洋ナシ(ブランディ) 追熟と予冷

我家に苗木を植えて25年くらい経つ洋ナシがあります。 品種はブランディです。
植栽後4~5年経った頃に主幹が折れたことと、場所を陽当たりの良い場所に移し替えたことで元の状態に戻るまで数年かかり、その後収穫できるようになったのは植栽後10年以上経ってからです。
洋ナシは樹上では熟さず収穫後しばらく置いて追儒させてから食しますが、以前は収穫したものをガレージに置いていました。 1週間もすると追熟が進んできたことを示す洋ナシの果皮が黄色くなってきます。しかし、それと同時に洋ナシの表面に茶褐色の円形状の模様出てくる、腐りが出始めるのです。 2〜3日後にはそれが全体に広がって全く食べられる状態でなくなっているのです。 30個程収穫してもまともに食べられるのは1個か2個、年によっては全く食べられない年もある状況でした。
2016.9.23
そんな年ががしばらく続いたので、これなら伐採して他の果樹を植えようかと考えていたのですが、洋ナシの追熟の仕方を最も確実で正確に教えてくれるのは生産者と思い、ダメ元と思いながらも果樹の産地である余市農協さんにメールしてみました。そうすると、丁寧に以下のような回答を頂きました。

お問合せありがとうございます。

 ブランデーワインの件ですが、収穫が遅れると、追熟しない、内部褐変の発生が心配、早すぎると果実が小さい、糖度が低いなどの品質や収量に大きく影響します。

満開後の日数や種子の着色などを確認しながら、適期に収穫をすることが大切です。余市町では満開がだいたい5/15〜5/20くらいです。収穫初めがだいたい満開から120日後となっており(9/15日頃)、果実の中の種を切って、黒く着色が始まり始めると収穫適期となってきますので、目安にしてみてください。

種を切って真っ黒になりすぎていると、収穫遅れとなりますので、追熟しない等の影響が出る可能性がありますので注意が必要です。

収穫後は速やかに予冷が重要で、収穫した果実は直後に呼吸量が急速に多くなり老化が始まりますので、野積みなどは避ける事が必要です。

速やかに冷蔵庫や冷暗所に保管し、熟度のそろいが良い環境で追熟させる事が大切です。

(冷蔵庫で1週間〜10日程予冷し、その後暑すぎない風通しの良い所(常温)で保管し1週間程度たてば食べ頃になるのではないかと思います。(個体差はあります。)

それで、余市農協さんの説明通りに、9月中旬にまず種の着色を確認しました。 2019..9.15
我家の洋ナシも例年の満開時期は余市町とほとんど同じ5月中旬~下旬なので、9月15日にタネの色を確認したところ黒くなっていました。

それで、その日に収穫しマジックで洋ナシに 収穫日を記載し、ビニール袋に入れて冷蔵庫に保管しました。
8日後の9月23日に冷蔵庫から取り出して室内(常温)に置いておきました。 早いものは5日程で果実の表面が黄色くなってきて、手で持つと表面が少し柔らかい感じ、手触りになっているものも出てきますが、1週間~10日後から黄色くなったものを順次食べていきました。 しかし、10個の内1~2個くらいの割合で、2週間以上置いても黄色くならないで、それを食すると洋ナシ特有のジューシーでまろやかな食感がなく、水気のないぼそぼそした感じの美味しくないものや、黄色く着色したと同時に腐ってくるものもありました。 それでも10個の内8個は美味しく食べられました。
洋ナシを美味しく食べるには、適期に収穫し、老化を防ぐために収穫後すぐの冷蔵庫での保管(予冷)が大事なようです。
試しに、本州の親戚に冷蔵庫で8日間予冷したものを送ったのですが、美味しく食べられたのは10個の内6個ほどで、果実の表面が黄色くなるときに出る褐色の模倣が出来るものも出てきたようです。 札幌に比べ10月に入っても暑い?本州では、洋ナシの常温での追熟に影響を与え、腐りがでやすいのでしょう。

<余談>
 
2015.9.115                                        2013.9.17

2枚の写真は、シンクイムシの入った洋ナシ。
左の写真は、シンクイムシが果肉を食害して果肉下部が黒くなっているものです。黒く見えるのはシンクイムシが出した糞。そこを食害したようです。 また、果実の上部右側から果実中心の種の部分に向かって筋が見えます。 これは、果実の表面で卵から孵ったシンクイムシの幼虫がそこから侵入したのでしょうか?、それとも、そこから脱出しするためにできた痕跡なのでしょうか?(写真を拡大すると道筋が分かります)
左の写真は、シンクイムシの入った果実の果肉が腐って表面が茶褐色になったものです。白い粒々状のものはカビです。

 

 

 

円山のカツラ

カツラは渓谷に点在するあまり目立たない落葉樹である。
大きな群落をつくらず、渓谷の谷底などに点在する。
大群落をつくらない樹木は、少数派ならではの苦労もある。
カツラの姿からは苦戦しつつも
独自に生き延びてきた戦略が浮かび上がってくる。

〇 森の中では少ない
森の中を歩いていても、カツラを見かけることはあまり多くない。カツラの稚樹の耐陰性は中庸で、発芽すれば森の中で育つようだが、どうやら渓谷以外の一般の斜面では種子による更新があまりうまくいってないようである。その一因は、種子が小さいため定着しにくいことだ。 カツラは翼のついた種子を風で散布する。その種子は非常に小さく、風に乗れば散布距離は大きい。ことろが、種子から発芽した実生はサイズが小さく、特に落葉が積もった場所では根を地中に入れることができず、死んでしまうことが多い。カツラの実生は、倒木の上や粒子の細かい土壌の上など、ごく限られた環境でしか育たないという。カツラが更新しているのは、一般の斜面よりも、むしろ渓谷だ。

〇 流される稚樹
冷温帯の渓谷を歩いていると、時々カツラの大木を見かける。カツラもサワグルミと同じように洪水によってできた攪乱地で更新するタイプの木である。河原には、小さな種子でも定着できる粒子の細かい土砂が堆積している。ただし、種子の小さいカツラは、サワグルミに較べて稚樹の競争力が劣る。このため、サワグルミが更新するような数十~数百年に一度起こるような大きな土石流でできた河原では、競争力の強いサワグルミやシオジに負けてしまう。この結果、カツラは、どちらかというともっと煩雑に起こる中小洪水によってできた谷底の河原で更新しているようだ。
2021.9.15
円山の裾野を流れる円山川 この川の両サイドにはカツラの稚樹や幼樹が列状に生えています。
2021.9.15
円山川の護岸は空石積なので、石と石の隙間に落ちたカツラのタネが発芽し生き延びて幼樹がそこから根を伸ばして成長しています。 この石と石の隙間が上述の「小さな種子でも定着できる粒子の細かい土砂が堆積している」環境と似通っているのでしようか?、とにかく、円山の登山道の入り口に当たる八十八か所大師堂付近の円山川上下流の石積護岸にはにはカツラの稚樹・幼樹がたくさん生えています。

2011.7.24
小金湯のカツラ  車の台数で大きさをイメージしてください。
2012.3.8
小金湯のカツラ冬姿。雪を乗せた横に広がる太い幹が目を引きます。

このカツラは北海道の記念保護樹に指定されています、 樹高は20m強くらい、樹冠は縦横20mを超し、樹齢700年を超える老大樹で、生えている場所は小中河川の川沿いではなく豊平川の近く。
所在は、国道230号線を定山渓に向かって行き、小金湯温泉(道路反対側には小金湯さくらの森)の信号を右に降りていくと、その大木が待っています。

2011.7.24                                      2012.3.8
根元から萌芽樹が何十本と立ち上がり全体の直径 は数メートルになる。

700年の時を越えて(その1:冬)
700年の時をこえて(その2:春)
700年の時を越えて(その3:秋)

〇 風任せの送粉形式
カツラにとって、繁殖において不利な点は他にもある。カツラの花は春に咲く。雄しべや雌しべの垂れ下がるだけの(花びらのない)原始的な風媒花である。
左:雄花 右:雌花
カツラの花は、花弁もがくもないので、雄花(左)は葯で、雌花(右)の細いひょろっとした4本は雌しべ なのでしょう。

風ませで花粉を運ぶ方式は、大群落においては効率的だが、個体数が少ない小群落の場合には効率の悪い送粉形式だ。
そもそも花粉をやりとりしないと種子ができないという繁殖方法(有性生殖)はじつに面倒くさい方法である。別の個体に花粉を送らなければ子孫を残せないとなると、個体数が減少すると種の絶滅の危機に瀕することになる。タケのように根で増える、つまり無性生殖という方法で繁殖するほうがはるかに簡単で、コストもかからない、確実な方法に見える。
カツラは中生代の白亜紀(1億年くらい前)に取り残されたように生き延びている一族である。どうやらカツラの一族はかつての繁栄から見ると衰退の途上にあるらしい。

〇 雌雄異株の問題点
大群落をつくらないカツラとって、風媒花という以外に不利な点がある。
カツラは、雄株(雄花だけがつく木)と雌株(雌花だけがつく木)に分かれるタイプつまり、「雌雄異株」である。雌雄異株は、同じ木に雌花と雄花が共存しないために、自家受粉を防ぐというメリットがある。自家受粉は健全な種子がなりにくい(近交弱勢)ので樹木としてはできれば避けたい行為だ。しかし一方で、雌雄異株は、個体数が減少してしまうと受粉効率が低下してしまう可能性がある。というのも、せっかく風に乗って花粉が飛んで、別のカツラにたどり着いても、その木が雌株(雌花をつける)とは限らない。また、雌雄の比についても、雌株だけが増えすぎても、雄株だけが増えすぎても受粉効率が悪くなるだろう。
個体数が減少してしまった場合、じつは自家受粉ができたほうが種の絶滅を逃れる可能性が高くなる場合がある。たしかに自家受粉だけに頼ってしまうと、近交弱勢という問題が生じる。しかし、絶滅の危機に瀕している際に、そんな悠長なことは言っていられない。自家受粉は、たとえ健全な種子が少なくても、とにかく一部は健全な種子ができるわけで、絶滅を防ぐための最後の手段として有効である。この点で、雌雄異株で自家受粉できないカツラは、種の維持という観点からは不利な立場に立たされている。

〇 有性生殖の不利
カツラなどの木が、雌雄異株、つまり雄株と雌株に分かれている形式をとるのは自家受粉を防ぐためである。自家受粉を防ぐ理由は、有性生殖を徹底するためである。なぜそこまでして、有性生殖を徹底しているのだろうか。それは遺伝子を多様化するためである。
有性生殖は、環境が激しく変化し続ける状況下では、生物にとって有利である。遺伝子を多様化で切るからだ。その変化とは気候変動などのようなゆっくりとしたものよりむしろ、ウィルスなど非常に早く進化するものである。 敵(ウィルスなど)の早い進化に対抗するために。生物の側もどんどん遺伝子構造を変化させようとするわけである。樹木など寿命の長い生物は、世代交代がゆっくりなので、特に有性生殖は有効なのかもしれない。おそらくは、樹木が生き延びてきたb歴史の中で、有性生殖が有利に働いた場面がたくさんあったのだろう。
しかし、有性生殖には(無性生殖に比べて)欠点もある。それは、一つの個体だけでは繁殖ができず、ある木の花粉が他の木の雌花(めしべ)に到達する必要がある(動物ならば配偶者を探さなければならない)ことである。有性生殖は、特に個体数が少ない状況下で種を維持しようとしたり、新たに分布を広げる際に不利である。絶滅しやすくなってしまうのだ。
また、花粉などのコストがかかる、とか、有性生殖は遺伝子を組み替えるので、せっかく獲得した有利な(優れた)遺伝子が失われることがある。といったデメリットもある。このため、無性生殖で反映している植物も少なくない。カツラも有性生殖の不利な部分を補うかのように無性生殖をおこなている。

〇 不利を補う無性生殖
有性生殖の対極にある生殖方法が、無性生殖でsる。樹木の無性生殖はおもに、生殖器官である花以外の器官が分化して繁殖する方法で、萌芽、むかご、地下茎などがある。無性生殖は、有性生殖と違って、1個体だけで可能な繁殖方法である。
カツラが行う無性生殖とは、萌芽による更新である。カツラは、太い幹が根元から枝分かれ(株立ち)している立派な姿をよく見かける。 2014.7.27
真駒内公園の真駒内川沿いに生えているカツラ。 萌芽枝が円形状に生えていて、その中央の主幹は見当たらない。

このような樹形は、何本かの萌芽枝が成長した結果だ。また、カツラの萌芽は、主幹が損傷を受けていなくても、普段から根元に多くの萌芽枝を出している。カツラは長寿であり、萌芽枝によって、主幹を交代させながら、個体によっては500年以上生きるという。萌芽は、同じ個体が再生しながら寿命を延ばしているとみることもできるが、味方を変えると、萌芽枝という子孫を新たに生み続けることによって、自らの遺伝子を継承しているという見方もできる。萌芽による更新(あるいは延命)がうまくいけば長い年月にわたって種子を散布し続けることができ、種子による更新も増えるだろう。カツラが絶滅せずに生き残っているのは、この強い萌芽による更新に負うところが大きい。カツラは有性生殖の形を守りつつ、その不利を無性生殖によっ補っているのかもしれない。

上の文章(ゴシック体)は、渡辺一夫著「イタヤカエデはなぜ自ら幹を枯らすのか」のカツラに関する記述です。 上文を簡単にまとめると、
① 今から約1億くらい前に生まれた樹木で、植物の進化から取り残された、その当時の姿を残したままの化石という単語が似合う植物
② 自生地は中国と日本の東アジアに限られ、かつての繁栄から見ると、衰退の途上にある種
③ 群落を形成しない、谷筋の湿気った場所にぽつんぽつんと点在して生える樹
④ 雌雄異株で原始的な形態の花を持つ風媒花
⑤ 萌芽枝を多数出して、主幹を交代させながら、500年以上生きる長寿の樹

円山のカツラ
2016.4.21
中央区の環状通(南20条~南10条辺り?から見える山肌で、ぼやっと赤くなっている部分がカツラの開花若しくは新芽の吹き出し。
2016.4.21
円山公園、坂下グランド(野球場)から円山を撮影。 ぼやっと赤くなっている部分がカツラの開花若しくは新芽の吹き出し。

2013.5.4
豊平川に架かるミュンヘン大橋から西に向かって行き、230線(石山通)を越えた当たりから撮影。 ぼやっと赤く見える部分がカツラの開花若しくは新芽の吹き出し。 撮影日が5月4日なので新芽が赤く見える可能性が高い。

上の3枚の写真を見てもわかるとおり、藻岩山から円山にかけての山肌にはカツラが多く生えています(群落を形成している)。 南29条から南1条までの環状線(道路)から見える藻岩山の裾野と円山にはカツラの群落を見かけます。 夏になるとカツラと他の樹木の区別は出来なくなるのですが、4月の開花や新芽の吹き出す頃は、山肌がぼんやり赤くそまり、カツラの存在を確認することが出来ます。
 2013.10.5
この写真は、円山の登山道の入り口に当たる八十八か所大師堂から少し入った円山川沿いの斜面を撮ったものです。 写真左側に見える大木はカツラです。 その奥にも株立ち上になった大きなカツラが2~3本見えます。 2013.10.5
写真のカツラは、上の写真の左端のカツラを正面から撮ったものです。 樹高は分かりませんが幹周は20mを超えると思います。 主幹がなくなり回りの萌芽樹が大きく成長して、その根元の直径が1mを超すほどになっています。 根張りは数メートル先まで伸びています。 萌芽樹の太さ・大きさ、その威厳・壮大さから、このカツラは小金湯のカツラより一回り上手で、その樹齢は1000年を越しているのではiないでしょうか?
2016.7.31
上と同じカツラで一番太い萌芽樹.。 平成16年(2004年)の、札幌で最大瞬間風速50mを記録した、台風18号で折れたのでしょうか?
2013.3.24
同じカツラの冬姿。 カツラ(写真中央)の左横を人がスキーを担いで歩いています。

藻岩・円山の森林は明治中頃には一部は伐採されていたが、その貴重さが見直されるきっかけとなったのは、サージェント教授の影響によるところが大きい。サージェント教授はアメリカのハーバード大学の高名な教授で、明治25年(1891)に日本の各地を訪れ、「日本森林植物誌」(英文)を著した。 この中で藻岩山のの森林についてふれ、この山と同じような気候の土地で、しかもせまい地域に、これほど樹木の種類が多くあるところは、世界的にも珍しいとの折り紙をつけた。
サージェント教授は、とくに日本のカツラには興味をひかれたようで、藻岩山の山麓の巨大なカツラを写真におさめて紹介している。
ところがこの後このカツラの大木は切られてしまった。宮部金吾博士など心ある人々は、この伐採を深く悲しみ、貴重な森林が失われるのを憂えた。・・・・
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そして、大正8年に国の天然記念物保存制度が成立すると、円山原始林、藻岩山原始林は、北海道における第1号の天然記念物として、大正10年(1921)に指定され、いっそうの自然保護がはかられるようになったのである。 ところで、❝原始林❞ といえば、古来からまったく人手が入らぬ森林が創造されがちであるが、藻岩・円山はすでに記したように若干の伐採はまぬがれなかったのである。 また、藻岩の南斜面(天然記念物区域外)を中心とした部分は、明治時代に数回の山火事にあって林相が悪化した。しかし、いずれにしても、原生天然保存林となった大正4年以降、現在にいたるまで70年近く(現在に換算すると107年)は、戦後のアメリカ進駐軍スキー場などの局部を除き、ほとんど人手が加えられていないので、藻岩・円山は都市近郊の豊かな ❝原始林❞ として、誇るべき存在であるということができる。
(さっぽろ文庫12 藻岩・円山)

話が少しそれてしまいましたが、円山のカツラに戻ります。
サージェント博士が藻岩山と円山の樹木の多様性を評価したことがきっかけで藻岩・円山が天然記念物に指定されることになったのですが、
今から100年以上前にサージェント博士は、円山の道なき道を上って、突然目の前に巨大なカツラに出会ったのです。 それは直径が数メートにも及び、萌芽樹が何十本も生えていて、その根元には直径が数十センチもある根が縦横に重なり合いなが四方八方に数メートル先までうねり伸ばしているのです。 そんなカツラの重厚さに圧倒されながら?、サージェント博士は、故郷の北アメリカには存在しない、極東の島国に生えてるカツラにどんな思いで見上げ佇んだのでしょうか?

円山にはそんな巨大なカツラが円山川沿いに幾本も生えているのです。そして、その裾野を流れる円山川の石積護岸にはカツラの稚樹や幼樹が列をなして生えているのです。 上述の著者 渡辺一夫氏によれば、 カツラは沢筋にぽつんぽつんと点在していることが多く、群落をつくることは少ないことのようですが、円山は群落を形成できる環境が整っている場所のようです。
このことは、カツラが生える場所の特性から、遠くであろうと近くであろうと山に登ってもカツラの花に出会える機会はなかなかないように思えるのです。 ところが、円山のカツラは群落を形成していて、それが身近に見えて、接するてことができ、大都市の公園の野球場からも見られるということは、カツラがユーラシア大陸の東端、中国の一部と日本の限られた場所だけに生息する種類という意味で、カツラの花を身近でしかも山肌を赤く染めるのを見ることができるのは、世界中でここ円山だけではないかと思っているのです。
そう思うと、カツラの花にもし花弁があれば、たとえ小さくても花弁があれば、坂下グランドから見る4月下旬から5月上旬にかけての円山の山肌はもう少し鮮やかで別の景色、色模様があったのに、と空想してしまうのです。

 

 

ヒトツバタゴ  ナンジャモンジャ

2021.6.12
豊平公園の中央にあるバラ園(今、ちょうど西洋シャクナゲが満開)の北側、藤棚の南側にヒトツバタコ(別名ナンジャモンジャ)の花が咲いています。 この樹は今から6~7年前に1.2m程の苗木が植えられ、現在の樹高は4.0mくらい、昨年から花が咲きだしたそうです。 中部地方の自生地では25mを超す大木になるそうです。 気候が亜寒帯に属する札幌では樹の生長が遅く、寒さのために自生地に生えているような大木にはなれないのでしょうね?
2021.6.12
成木になると、樹冠全体が真っ白になるくらいたくさんの花をつけるそうです。
2021.6.12
花の咲き方、形状はアオダモに似ています。
この花の咲き方を言葉で表現すると、
花の形状は円錐状集散花序で、白花をややまばらにつける。 雌雄異株で、花冠は4つに深く裂け、裂片は長さ1.5mm前後(世界の植物)
となります。

愛知県から岐阜県のあたりは、ハナノキ、シデコブシ、シラタマホシクサをはじめとした特産植物があって、特殊な植物地理区になっている。 ヒトツバタゴはこの地域に野生するほかは、遠く対馬の北部、朝鮮半島、中国、台湾にあるので、日本では珍木の一つである。
江戸時代末期の尾張(愛知県)の本草学者、水谷豊文が発見し、「物品識名拾遺
」に記録した。豊文はこの木をトネリコの仲間と判断し、※トネリコを方言でタゴノキというので、単葉のタゴ、つまりヒトツバタゴと名づけた。
※トネリコ:トネリコ(北海道に自生していない)はヤチダモやアオダモと同じ仲間のトネリコ属で葉はニセアカシアのような奇数羽状複葉 ヒトツバタゴはヒトツバタゴ属。 アオダモ、ヒトツバタゴともに同じモクセイ科

葉の縁には鋸歯はなく 、どういう訳か?、カキの葉が頭に浮かんできました。

また、江戸青山六遺の辻の人家(現在は明治神宮内)にこの木が植えられていて、名前がわからぬままにナンジャモンジャと呼ばれていた。(世界の植物)

⇒ アオダモ(その1)
⇒ アオダモ(その2)

 

 

 

 

ズミ

2016.5.21
北大植物園のロックガーデン近く、池の畔にあるズミ。 高さは6~7m?くらい。 ズミ特有の樹冠全体が真っ白な花で被われる。
山地や原野のやや湿ったところに生える落葉樹。 高さ2~10m。小枝はしばしば刺状になる(北海道樹木図鑑)
2020.5.25
これは我家の近くで撮ったズミと思われる樹。 定山渓鉄道跡地横に生えている。 2017.5.25
ズミの花。 花は径2.5~3cm。 2021.5.8
ズミのつぼみ。 つぼみのときはピンクをしているが花弁が大きくなるにつれて白く退色していく。
短枝の先に5~7個の花をつける。 ※短枝の葉は長楕円形で長さ3~10cm、細鋸歯縁(写真では判別できない)。(北海道樹木図鑑)

※短枝:枝には、①よく伸びた枝(徒長枝)②その年伸びた枝の基部付近から出る成長の少ない枝(短枝)、③その中間の枝(中枝)があり、①短枝は組織が充実していて、花芽や実が結実しやすいという性質がある。特に実もの樹種の一部ではこの短枝にのみ花芽を持つものが多い(盆栽用語集) 2016.6.12
長枝の葉は卵形でときに3~5中裂する(北海道樹木辞典)が、短枝につく葉はすべて中裂しない。
この写真は、北大植物園のロックガーデン横、池の畔に生えているズミの葉。 ほとんどすべての葉が中裂している。 このような樹はめずらしい。 下の写真のように、他の場所で見るズミと思われるものは中裂している葉と中裂しない葉が混ざっている。
2020.7.4
中裂の度合いは個々の樹によって多い少ないの程度の差はあるが、写真のズミは中裂している葉が多い方。

 エゾノコリンゴ? それとも ズミ